学校法人茨城キリスト教学園

キアラ館設計者である、建築家・白井 晟一の作品展(第1部)が開催されています。

学園のシンボルである<サンタ・キアラ館(以降:キアラ館)>を設計した、孤高の建築家・白井 晟一氏。
氏が同じく設計した渋谷区の松濤美術館にて、開館40周年を記念した、白井 晟一作品展「白井晟一 入門」が始まりました。

キアラ館について

竣工当初のキアラ館(左)と、現在のキアラ館(中央、右)
本学のチャペル(礼拝堂)として1974年10月に建立されたキアラ館。

中世ヨーロッパの修道院をイメージしており、外壁には赤れんが、内壁には白いれんがと石を用いています。

キアラ館の名称である「キアラ」は、アッシジの聖フランシスコの女弟子で、修道女「聖女クララ」にちなんで白井晟一本人によって命名されました。

キアラ館の外観は、丸みをおびた外観とスリット、そして反対側は対照的な鋭角のコーナーになっています。
観る人によっては、ノアの箱舟だったり、同時期に建てられた同氏作の<ノアビル>を連想されるようです。

また、礼拝堂から外に出たときに光を感じるようにと、窓が小さく・ほの暗い造りになっているのも特徴です。

そんなキアラ館では、大学チャペル(礼拝)をはじめとして、オーケストラのコンサートや学生によるライブなど数々の行事が行われています。チャペル(礼拝)は、本学園の教職員、在校生・卒業生、近隣教会の牧師先生などが奨励(短い聖書の話)や証し(体験談など)をしています。


建築家 白井 晟一(1905~1983)

「虚白庵の白井 晟一」1970年頃 画像提供:株式会社芸術生活社


京都で生まれ、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科を卒業後、ドイツで哲学を学ぶなどの異色の経歴を持つ建築家です。滞欧期を経て帰国後、義兄の自邸の設計を手掛けたことを契機に独学で建築の道に進みました。
その後、初期の木造の個人住宅・公共建築から、長崎の<親和銀行本店>、東京の<ノアビル>、そして当学園の<サンタ・キアラ館>など、多くの記憶に残る作品を世に残しました。
経歴を含むユニークな建築スタイルから、「哲学の建築家」とも評されています。





白井氏の作品展の会場となるのは、渋谷区立松濤美術館。

日本を代表するランドスケープ・渋谷駅前の「スクランブル交差点」から歩くことおよそ3分。オーセンティックなたたずまいを見せる東急百貨店本店前のY字路を左へと進むと、美術館の建つ松濤の街並みが見えてきます。それまでの目も眩むほどの喧騒からとは対照的な、静かで豊かな時間が流れており、「松濤文化村ストリート」と称して、文化・芸術関係の街おこしも行われています。

そんな閑静な住宅街の中に、今回の展覧会が開催されている松濤美術館はあります。

展覧会概要

白井晟一入門
第1部/白井晟一クロニクル 2021年10月23日(土)~12月12日(日)
第2部/Back to 1981 建物公開 2022年1月4日(火)~1月30日(日)

本展は、初期から晩年までの白井建築や、その多彩な活動の全体像にふれる、いわば白井晟一の“入門編”となっています。

第1部では白井晟一の設計した展示室でオリジナル図面、建築模型、装丁デザイン画、書などを、白井晟一研究所のアーカイブを中心に展示し、その活動をたどっています。
第2部では、晩年の代表的建築のひとつである松濤美術館そのものに焦点を当てています。長年、展示向けに壁面等が設置されている展示室を、白井氏がイメージした当初の姿に近づけ公開する予定です。

美術館入口すぐには、<ノアビル>と<原爆堂計画>の1/50模型が設置されており、さっそく白井建築を体感することができます。

キアラ館と同時期に造られ、同じく現存しているノアビル。レンガ造の土台はキアラ館を彷彿とさせるものがあります。
原爆堂計画の模型は、地下構造(写真左)まで詳細に再現されています。

第1会場(2階展示室)

戦前~1950年代頃までの白井晟一の足取りを追っており、白井氏が手掛けた幻の建築や書籍装丁など幅広い仕事について紹介されています。




第1会場パノラマ写真(クリックすると場内の様子をパノラマでごらんいただけます。)

第2会場(地下1階展示室)

第1会場よりも空間を大きく使い、1960年代~80年代の白井の代表作<親和銀行>や<原爆堂>など、スケールの大きな作品の数々を展示しています。 

キアラ館は、第2会場内に写真及び図面の展示がされています。

 
  1960年代以降、急速な経済成長を遂げていく日本で、建築家は国民のための住宅供給から、都市空間そのものの建設へと主たる関心を移していた。
また、白井はこの時期、人間生活の秩序のためには「個我の妄執をうち破る人間以上の力を持つ存在を畏敬する感情を欠くことはできない」と語っていた。だからこそ『キアラ館』などの既に信仰を持つ人々のための施設だけではなく、東京の商業テナントビル『ノアビル』など不特定多数のための場所においてもより一層の象徴性や超越性を帯びた造形を施した。
   -『白井晟一 入門』p.101より引用・一部編集
 
 
現場指揮を担当したのは次男の昱磨(いくま)氏。キアラ館の図面も、昱磨氏によって綺麗に保存されていました。

学芸員さんに聞く、「白井晟一とキアラ館」

今回お話をお伺いしたのは、学芸員の平泉千枝さん、木原天彦さん、西美弥子さんです。

新妻
「この度は展覧会の開催、誠におめでとうございます。当学園のキアラ館について教えていただく前に、この展覧会自体についてもお聞かせいただければ嬉しいです。初めに、2021年のいまこの時期に白井氏の展覧会を開催することになった背景や意味があれば教えてください。」


平泉さん
「松濤美術館開館40周年というメモリアルな年にちなんでのイベントというよりは、生存する白井晟一の関係者から、白井氏の作品について話を伺い、記録として残せるギリギリのラインだった、というのが背景にあります。白井晟一の作品には個人が所有するものも多く、建築作品について現状どうなっているかなどのまとまった報告が上がってこず、人知れず壊されてしまっている作品もあるのではないかと思っていました。また、それら建築物について知る関係者も高齢化が進んできていることから、本展を開催する運びになりました。」


木原さん
「そこで、3~4年前から本展の構想をはじめ、助成金をいただきながら、全国の白井建築を渡り歩きました。その作業はとても泥臭く、頼みの綱は、個人のネットワークだけでした。しかし、聞き込みを通して感じたことは、血縁者を中心とした伝承がしっかりとされていて、白井作品が建った時の想い出を持っている人が多く、リスペクトを忘れずに今も工夫して使われているということでした。苦労も多い情報集めの毎日でしたが、また一つ、白井の人となりや建築を深く知る機会となりました。」

西さん
「私たちは、白井晟一本人と、コロナ禍という時期も相まって大変な時期にお話を聞かせてくれた白井建築の所有者の皆さんの想いを最大限尊重し、あえて私たち自身の解釈を入れずにフラットに見ていただく場にしたいと思っています。観る人と作品を出合わせる場は用意する、そこからどのように白井建築に対して心や身体が動くか…それは皆さまの自由です。だからこそ、「白井晟一“入門”」なのです。」

新妻
「建物は“人々の共通の記憶”になりますよね。単に暮らしを支えるだけではなく、そこに関わる人と人とを物理的にも、記憶でも、つなぐ役割を果たす…建築というものの尊さを改めて感じました。それでは、次はキアラ館についても聞かせてください。白井晟一にとって、キアラ館の建築にはどのような意味や思い入れがあったのでしょうか?」


平泉さん
「あくまで推察になってしまいますが、白井本人がヨーロッパで哲学やゴシック建築の歴史を学んでいたこともあり、一度は“聖堂”を造ってみたかったという想いはあったはずです。それを現実にできたのが、このキアラ館なのだと思います。」


新妻
「そうなんですね。皆さまにも展覧会開催前にキアラ館を視察いただいたということですが、現物のキアラ館を見ていただいた感想などを教えていただけますでしょうか?」

木原さん
「印象的だったのが、キアラ館内のパイプオルガンを思いのままに演奏されている学生さんの姿でした。白井建築は評価が高いが故に、気圧されてしまい、まるで鑑賞品のように手を付けられない…という気持ちになってしまう人も中にはいるようですが、白井はそのようなことは望んでいませんでした。例えば、自邸の<滴々居>は、梁が突き出したまま未完の状態で居住していました。それは、“住む人の受け止め方で住居は良くなっていく”、という考えがあってのことでした。その時代に使う人の思うままに空間を使ってほしいと思っていたのでしょう。キアラ館は、多種多様な人たちによるチャペルでの礼拝やコンサートなど、実に様々な使われ方をされています。模範解答のような使い方です。建物というのは入ってみないと良さが分からないので、一定のお伺いさえ立てれば誰でも見ることができる建築として残っていることも、ありがたいことです。ぜひ生きている建築として、これからも大切に、愛着をもって使っていってほしいと思います。」

図面を見ながらキアラ館の魅力について語る木原さん

平泉さん、木原さん、西さん、ありがとうございました。

さいごに 松濤美術館について

松濤美術館は白井晟一晩年の代表作です。晩年のスケッチには「美術館」が多かったそうです。人々の記憶をつなぐ役割を持ち、また、美術館という建物自体が観る人すべての共通の記憶となることから、できるだけたくさん世に残したいという想いがあってのことだったのでは、と推測されます。

白井建築に用いられる技巧はどれも難易度が高いものばかりだそうですが、「白井建築を手掛けられたことは誇りである」と語る施工主も多かったそうです。キアラ館でも用いられている技法や素材もあります。興味のある方はぜひ一度足を運んでみてください。


中央部には楕円形に切り取られた珍しい中庭があります。空洞から見える青空は圧巻の景色です。人間が生きていくうえで必要な時間や空間を大切にしていたからこその大胆な設計なのではないかと推察されています。
※通常は一般公開しておりませんが、第2部開催時のみ開放されます。

建築関係者からも評価の高い美しい面取り

緩やかな手すりに用いられた一面の金網は、現場泣かせの技巧だと言われていたそうです。

キアラ館でも用いられている灯りが同様に使われています。白井氏は気に入った素材は複数の建築に使う傾向があったそうです。