アンネ・フランクは、1929年に父・オットーと母・エーディトの次女として、ドイツのフランクフルトにユダヤ人として生まれました。
やがてナチスが台頭し、ユダヤ人迫害を始めると、フランク一家はそれらを避けるために、オランダのアムステルダムへ移住、父・オットーの経営する会社兼倉庫の屋根裏部屋を『隠れ家』として居住することになりました。
『隠れ家』には、フランク一家以外にもうひと家族(いわゆるペーターの一家)と、歯科医フェファー氏も住むことになりましたが、密告によってナチスに『隠れ家』の存在が知られてしまいます。
1944年8月、『隠れ家』に突入したナチスによって住人はすべて連行され、強制収容所へ送られ、アンネ・フランクは終戦の直前、送られた収容所でチフスにかかり、15年の短い生涯を閉じることになりました。
そして終戦後、『隠れ家』の住人の中で、唯一生還できたのは、アンネの父オットー・フランクただ一人でした。
オットーは、『隠れ家』の生活を支援していたミープ・ヒースより保管していた『アンネの日記』を受け取り、出版しました。