理事長からのメッセージ

アンネのバラと共に
地震・津波・原発放射能というトリプル災害によるあまりに厳しい現実に言葉もありません。被災地の皆様に哀惜の意と一刻も早い回復をお祈りいたします。被災学生の諸君への出来る限りの支援を一刻も早くできる事から始めなければなりません。
苦難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を。希望は決して欺かない。
― ローマの信徒への手紙 ―
今回ほどこの聖句が胸に響いたことはありません。
被災を受けた直後にガンバレと云うよりも思いきり泣いて耐え、昔の人が言う『時薬』の意味する「それなりの時が経て、よしガンバルゾ」となるのではないでしょうか。
どうか被災学生の皆さん、くじけず希望をもって立ち向かってもらいたい。
3・11は金曜日で翌週15日が中学校卒業式、16~17日と認定こども園の卒園式、18日が大学の学位授与式と予定されていましたが、いずれも中止としました。本学園内の各学校も、この対応や校舎・施設の点検、園児・生徒・学生はもとより、ご家族の状況把握に追われていました。
その間、キリスト教センターが中心となって、「隣人になる」プロジェクト ― 被災した地域・被災された方への義援金を募集し、支援することで、小さな「隣人になる」ことを願う。 と、「共に生きる」プロジェクト― 被災した本学園に在籍する学生・生徒・園児の支援のため、また被災地へのボランティア活動を支援するための募金。 この震災に対して、自分たちが今できる事を考えて、2つのプロジェクトを同時に立ち上げました。感謝です。
さらに3月15日には、クラッシュ・ジャパン(CRASH JAPAN)から学園の宿泊施設を提供してもらいたいというお申出がありました。そして12月までの期間、此処を拠点として、北茨城・いわき市に支援物資の中継地としてコンテナからの積み降ろしをしたいという事でもありました。もちろん全面的な協力をお約束しました。
このメンバーの方々はアメリカ人を中心に牧師・医者など職業は多岐に亘った人達です。彼等は神戸の震災の時の経験からCRASH JAPAN(Christian Relief Assistance Support Hope)を立ち上げた全くのボランティア団体です。
本当に有難い事ですが、私が驚き感心した事は、まず立ち上げの早さ、中継地の確保、そして今年一杯までと多面的・長期的視点から取り組んでいるところです。ややもすると無計画に一時的興奮状態で対処しがちですが、実に見事なマネジメントに感謝と敬意を感ぜずにはいられませんでした。
大甕駅前での大学聖歌隊の募金、石巻へのお手伝い、カウンセラーによる無料電話相談など自主的に出来る事から心をひとつにして当たっていて呉れる事に誇りを憶えます。
何事にも努力を惜しまない「勤勉さ」と人を思いやり、助け合う「共に生きる」人間の育成こそが本学のモットーそのものです。
キアラ館前の植込みでアンネ・ローズが今年も見事に咲きました。
アンネ・フランクはドイツのフランクフルトに生まれましたが、ナチスの迫害から逃れるためオランダのアムステルダムへ亡命しました。
オランダでもユダヤ人狩りが行われ、隠れ家で潜行生活に入ります。ここでの生活は2年間に及び、遂に発見されて、ナチスの強制収容所へ移送されます。不衛生な環境に耐えられず、チフスに罹患して15歳で亡くなります。母のエディートや姉のマルゴーとはいつもケンカをしていました。父のオットーに対しては、「世界中でパパ以外に愛する人はいません。」とアンネは日記の中で書いています。その父オットーはただ一人戦後も生き延びました。
オットーはアンネがいつも窓際に咲くバラを椅子に座り、あごに手も添えて見ている姿が忘れられませんでした。そして思い出の新種のバラを依頼し、アンネのバラと名付けこの四季咲きのバラを眺めてアンネを追想していたのです。そのアンネのバラが廻り廻って本学で毎年わたくし達を楽しませて呉れているだけでなく、毎年20数本の苗木を県外にも、今年は宮城県の小学校にまで配付式を行なってお贈りしています。
もの音をたてずに、食料にも欠乏し着る物も着たきりすずめの時にも、いきいきとして人を笑わせたり、楽しませるのが大好きだったアンネ。
どんなに絶望的な状況になっても、アンネは希望を捨てませんでした。
2011年6月
理事長 金山仁志郎