蔦の会」発足の経緯について蔦の会にもどる
                        2000年3月18日     坂本 

 染谷先生を囲んで、ゼミ形式の勉強会を始めようということは、昨年7月の前期終了時点で行った懇親会の席で出たものである。染谷先生担当の「ディベート」の最後の講義が、前期のみであっけなく終った日の夜のことであった。 その席に集まったのは、先生の他赤津氏、村田氏、広原氏、坂本の4名で、いずれも「ディベート」の講義に悪戦苦闘しながらも、それなりに全力を尽くして頑張ったメンバーである。  先ず勉強会の曜日と時間は、「ディベート」の講義が終ってぽっかり空いた木曜日の午後にすんなり決まったが、教材に何を使用するかはなかなか決まらなかった。 当初、赤津氏推薦の村上和雄著「生命の暗号」もあったが、染谷先生を囲む勉強会ということでもあり、結局教材は先生から選定していただくことになった。しばらく検討の結果、先生から提示されたのが赤松啓介著「夜這いの民俗学」、石川九楊著「二重言語国家・日本」、田中圭一著「日本の江戸時代」の三冊であった。尚現在使用中の岡崎照男訳「パパラギ」はその後追加提示された教材である。 
 また勉強会の会員は主として赤津氏が集めた。現在男性会員
5名、女性会員3名、学生会員(女性)2名の合計10名で構成されている(年齢構成十代から六十代)。次に会の名称であるが二転三転したが、結局染谷先生の命名で「蔦の会」となった。これは、他のしっかりした樹木に絡まって、逞しくしぶとく好奇心を持って、自らを太らせながら成長していく蔦の様な人達の会という意味である。 最後に会の場所は先生の研究室を開放していただいたが、書籍に囲まれたアカデミックな雰囲気は最高の勉強の場となった。  勉強会は輪読の形式で教材を読み、自由に意見感想等を述べあって、最後に先生がまとめて次に進む様にしているが、会員からも人生経験にもとづく意見がたくさん出て、時間を過ぎるのも忘れるくらいである。 更に教材として「夜這いの民俗学」を一番始めに取上げたが、これは蔦の会の雰囲気作りに多大の影響があったと考えている。  この教材のタイトルで、会員に勧誘されて、躊躇すること無く「蔦の会」に馳せ参じた現会員は相当の筋金入りと考えて良かろう。少なくとも見栄や体裁で勉強会に参加した人は皆無のはずである。 ここまで配慮して、第一教材に「夜這いの民俗学」を選定されたとすれば染谷先生の見識はお見事というしかない。ただ、この教材の内容は音読するのにはチョット気恥ずかしいものだったので、特に十代の学生会員には若しかしたら少し気の毒だったかもしれない。
  
現在は、第二教材の「パパラギ」を勉強中であるが、西サモアの酋長ツイアビの強烈な自信と、それに裏付けされた鋭い観察力に感嘆している次第である。 今までの経験から言って、これらの二冊の本は、私だけだったら先ず読書の対象とならなかったに違いない。つまり読書の幅の拡大が「蔦の会」の成果の一つであろう。 いずれにしても「蔦の会」は未だ発足して間も無いので、会員全員で和気藹々と勉強と相互親睦を図って行って、会の名前の由来に負けない様に好奇心を持って逞しく、しなやかに成長して行きたいものである。                                                                                    以上