茨城キリスト教大学

2019年度入学式 学長式辞

風薫る季節になってきました。本日この自然溢れるキャンパスで大学での学びの一歩を踏み出す皆さん、ご入学おめでとうございます。ご同席のご家族・ご関係の皆様にも、茨城キリスト教大学を代表して、心よりお祝いと歓迎のご挨拶を申し上げます。また、ご来賓の皆様、新年度の大変お忙しい中、ご参列いただき、誠にありがとうございます。

第二次世界大戦後間もない1947年に、この地に創立された茨城キリスト教学園は、70年を超える歴史を誇っています。学園創立当時のキャンパス写真を見ると、一面原野が広がっています。言い換えれば、ほとんど何もなかったところからこの学園はスタートしたのです。夜間の英語学校、そして幼稚園から始まったこの学園は、創立当初から「綜合大学」の設立を目指していましたが、その構想が実現に至るには長い年月を要しました。1967年当初、文学部のみの単科大学(College)として誕生した茨城キリスト教大学は、2000年に生活科学部、2004年に看護学部、そして東日本大震災のあった2011年に経営学部が加わり、4つの学部、そして、大学院の3研究科を擁する文字通りの「綜合大学」(University)に発展してきました。開設時の入学定員はわずか100名で、一つの教室で入学式ができるほどでしたが、短期大学との統合を経て現在の学部入学定員は550名となっており、入学式も、今ではこの大きな講堂で午前の部・午後の部と2回に分けて実施するようになっています。このキャンパスには大学・大学院の他に中学校・高等学校、そして認定こども園があり、それぞれの教育機関が連携しながら、「総合学園」としての教育に取り組んでいます。

2017年に学園創立70周年・大学創立50周年を迎えた時、この学園は、建学の精神を「スクールモットー」という形でシンプルに表現することとしました。それは、「Peace Truth LOVE—平和と真理と、愛」というものです。多くの犠牲を招く戦争を2度と起こしてはならないという創設者の祈りに応え、世界の平和につながる「心の平和」を養う教育をこの学園は日々実践しています。また、時に「常識」と言われるものをも疑い、真理を探求していくことも、本学の大きな使命です。そして、「隣人を、自分のように愛しなさい」という聖書の言葉にもあるように、他者に対して愛のこもった眼差しで接することができる人を育てることも、本学は大切にしています。

昨年12月には、大甕駅新駅舎や東西自由通路の完成、学園新正門の開通により、この大学は駅からとても近い大学になりました。実はこれは本学園にとって数十年前来の夢が叶ったことになります。聖書には、「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」という一節があります。この「幻」というのは「幻覚」という意味ではなく、英語での “vison” に相当します。初めは目に見えなくとも、心で見る、すなわち希望を持ち続けることによって、いつかは目に見えるようになるということが、本学園の歴史で実現したのです。

実は「近い」のは駅からの距離だけではありません。この大学では教職員と学生との距離も近く、皆さんの悩み事に対しても相談できる体制が整っています。皆さんがこの大学での生活に慣れていくにしたがって、同級生や上級生との関係も急速に近づいていくことになるでしょう。

さて、次に大学での学びについて少しお話します。ご承知のように、大学には高校までと違って「検定教科書」というものはありません。皆さんが履修する授業では、教科書や参考書が指定されることもありますが、授業を理解したり、レポートを書いたりするためには、自ら貪欲に参考文献を入手して読むことが大切です。授業とは関係なくとも、大学生の時代には、貪欲に書物に接することが、心を豊かにし、将来への備えにもなります。まずはこの大学の図書館を積極的に活用するよう、心がけてください。

ここで私から2冊の本を皆さんに紹介させていただきます。1冊目はフランス現代思想が専門の内田樹さんによる『先生はえらい』という本です。このタイトルに接した時、初めは、「困難な教育現場で頑張っている先生はえらい」という内容が書いてあるのかと思いましたが、実は全くそんなことは書いてありませんでした。乱暴に要約してしまうと、「受け手が何かを学んだと思ったら、その送り手である相手は『先生』である」という内容でした。もう1冊は元外交官の佐藤優さんによる『先生と私』という本です。このタイトルを見た時、「特定の一人の先生と著者の交流でも描かれているのだろう」と予想しましたが、これまた予想は完全に裏切られました。著者が幼年期から高校入学までに出会ってきた様々な人たちから、後々の人生にも多大な影響を受けたことが綴られています。描かれている人物のほとんどが公教育機関の「教師」ではありません。

この2冊の本を読み、私自身、「先生」という概念を根本から見直すことになりました。制度上、知識や技能を送り出す側から見るのではなく、受け手が「学びを得た」と感じたら、その相手が学校の教師であってもなくても、年上であっても同年であっても年下であっても、受け手が「先生」と感じる送り手が「先生」となるのだということです。極端な話、送り手が知識や技能を伝授しようという意識を全く持っていなくとも、受け手が何かを得たと感じたら、その相手は「先生」となるのです。

このような概念が成立するためには、受け手の側の貪欲さが必要です。皆さんが知的好奇心を常に持ち、積極的に学生生活を送れば、自ずと皆さんにとっての「先生」が見つかるはずです。そのような「先生」を見つけることができれば、皆さんの大学生活は必ず充実したものになります。現時点で卒業後の vision が描けていなくとも、皆さんが見出した「先生」との交流を通じて、それがだんだんと見えてくることでしょう。

書物との出会い、「先生」との出会い、それに加えて大切にしてほしいものが2つあります。まずは地域社会での学びです。時には大学のキャンパスを離れて、実習やボランティア、インターンシップのような形で地域に出て、地域課題を肌で感じながら学ぶことは、かけがえのない経験になるはずです。そしてもう1つは、異文化に触れることです。「異文化」とは、必ずしも「外国文化」を表すとは限りません。海外であっても国内であっても、日常とは違った環境に身を置くことで、「常識」と思っていたことが誰にとっても同じではないということに気付くはずです。

さあ、皆さんの前には様々な可能性が広がっています。是非有意義な学生生活を送って、4年後には皆さんが想像できないほど大きな成長を遂げることを願って私の式辞を終えることとします。改めまして、皆さんご入学おめでとうございます。

2019年4月2日
茨城キリスト教大学
学長 東海林 宏司