|
館長の「完調日記」(4) 4月25日
今回のテーマは、エコクリティシズム、です。
今月の22日、韓国のソウルにあります壇國大学校の日本学研究所のお招きで、研究発表をする予定でした。ところが、今回の震災によって大学行事が一か月後にずれ込んだことによって、欠席せざるを得なくなりました。すでにプログラムも出来あがっていたものですから、新たな発表者をというわけにもいかず、私の原稿を他の方に代読していただくという形になりました。研究会全体のテーマは、「韓日文学と自然・生態・環境」で、私の発表テーマは「エコクリティシズムと東アジア文化・文学の自然観―日韓比較論とその先を見据えて」というものでした。
エコクリティシズムというのは、環境に関する文学批評のことです。文学研究というと、小説や演劇、俳句や短歌の世界を分析したりするもののように思われていますから、環境と文学というと随分遠いもののような気がしますが、両者はそれほど遠いものではありません。文学を言語表現と言い変えてみると少し近くなるかも知れません。人間の基本的なコミュニケーションは言葉ですね。様々な分野に介在する言葉の機能を取り上げて、その問題点を考えてゆくのも文学研究です。
たとえば、今回の震災や原発事故の報道で「ただちに」とか「想定外」という言葉が乱れ飛びましたね。その後、この言葉が分かりにくいということで批判されると、ほとんど報道に出なくなりました。確かに「ただちに健康に影響はない」と言われても、裏を返せば、今は無くてもそのうちきっと出て来るよ、という意味とも取れますから、実に曖昧です。また想定外もそうですね。何を想定していたのかが問題なんですが、そういうことを忘れて、なんでもかんでも「想定外」が使われて、この言葉が免罪符のようになってしまいました。また、この言葉が批判されると一斉に使われなくなるというのも問題です。一種の言葉狩りですね。言葉を変えれば問題も解決したような雰囲気になる。この言葉狩りは日本には古くからある問題です。こうした〈ことば〉の問題を取り上げてゆくのも文学研究なんです。
ただ、私が今回発表しようとしたのは、もうすこし別個な話です。副題に「日韓比較論とその先を見据えて」とありますように、日韓の様々な比較文化論を環境の側面から見直すと、日韓のみの地域性に限定出来ない、東アジア全体の問題が浮かび上がってくるということです。もう少し具体的に言うと、日本の西側は中国の江南(揚子江の南側)を含む海洋性の気候とそこから影響された文化が中心なのに対して、日本の東側は、朝鮮半島から中国の北方を経てロシア(ハバロフスク・サハリン)、そして北海道へと続く落葉広葉樹林帯の気候に影響された文化が中心となっているということです。日韓の違いの多くは、実はこの二つの気候の違いに起因するんじゃないかというのが結論です。ま、この話はテーマとして大きいので、いずれまた機会があれば述べてみたいと思います。
なお、最後に、今回発表できなかったことのお詫びとして、以下のようなメッセージを壇國大学校に送りました。その中で、アメリカの同時多発テロの9.11とフクシマの3.11を重ねる視点を出してみたので、参考のために、ここに挙げておきます。
・・・・・
今回は、発表の予定をしていながら、震災の影響による大学行事の変更(4月22日が入学行事と重なってしまいました)のため、止む無く欠席いたすこととなりました。発表のお誘いをいただきました日本学研究所長の鄭灐先生はじめ研究所関係の諸先生、ならびにシンポジウムにご参加された皆さまに心からのお詫びを申し上げます。
ご存知のように日本では、3月11日の東日本大震災で、福島第一原子力発電所が事故を起こし、政府が「原子力緊急事態」を宣言、かつてない深刻な事態となりました。それから1か月、事態は収束の糸口をつかめず深刻の度を増しています。このまま最悪の事態を迎えれば、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の数倍と言われる放射能が撒き散らされ、周囲の環境に大打撃を与えることは必至です。当然、韓国にもその影響が及ぶことが懸念されます。韓国の皆さまにも多大な御心配をお掛けすることになり、日本人の一人として何とも申し訳のない気持ちです。
恐らく、今回の震災と事故の起きた日、つまり3.11は、日本を大きな岐路に立たせた日として長く記憶されることでしょう。すなわち、日本の表看板は技術立国だったわけですが、今回の事故でこれは地に堕ちました。今後の日本は、世界の信頼を回復すべく、再度原発の科学技術やその安全性を確立するか、大きく国の方向性を変えてエコロジー(環境立国)に進むかの選択を迫られます。
この事に関連して思い起こされるのは、アメリカ合衆国で起きた9.11の同時多発テロ事件です。この時のアメリカも政治的に大きな岐路に立ちました。ところが、アメリカはその後ブッシュ大統領の誤った政策により、イラクへの根拠の無い攻撃を加えて、更に凋落する姿を世界に示しました。今回の3.11も日本が無反省に科学技術の革新のみに走れば、アメリカと同じことになると思います。つまりニューヨークが政治のグランドゼロならば、フクシマは環境のグランドゼロです。
今回のフクシマの教訓を基に、私も文学研究者として環境の問題に関心を持ち続け、微力ながら力を尽くして行きたいと思っております。韓国にも環境問題に関心の高い先生方が沢山居られるとお聞きしておりますので、ともに手を携えて行ければと願っております。
それにしても、今回の学術シンポジウムのテーマが「韓日文学と自然・生態・環境」であるというのは恐ろしいほどにタイムリーで、壇國大学校日本学研究所長の鄭灐先生はじめスタッフの皆さまの、先見の明には感服いたしております。
今回のシンポジウムが実り多きものであると同時に、盛会の裡に終わりますことを心より祈念しております。
|