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  蔦の会に入って
                                                  山森 宏
 シルバー聴講生として、染谷先生の追っかけてファンとなっていた赤津さんから、昨秋お誘いを受けた。 赤津さんの強引なお願いで、少人数によるゼミ形式の学びを、染谷先生にしていただけるようになったとのこと。
 江戸時代の文学に造詣の深い染谷先生の魅力については、予て赤津さん他数人の聴講生方から聞き知っていた。文学には興味をもっており、先生の教えを受けてみたいと思いつつ、文学も日本史もきちんと学んだことのない私には、ついて行けるかどうか心配であった。しかし、60半ばを過ぎてからであるが、なんでも見てやろう、聞いてやろう、との旺盛な好奇心が勝って、参加させて頂くことにした。
 メンバーは多彩である。60才台の男性5人、?歳台の女性3人、女子学生2人、といった構成。必ずも、毎回全員が出席する訳ではないが、狭い研究室に熱気がこもり、楽しい。
 内容は、テキストを読んで感想・意見を述べあい、先生のアドバイスを受ける、といったかたちで進行する。
 最初のテキストは、赤松啓介著の「夜這いの民俗学」。いささか気恥ずかしいタイトルであり、内容もかなり赤裸々である。あらゆるタブーに挑戦する、という観点から、取り上げられた由。著者の体験・調査に基ずく叙述に派生して、明治・大正時代の庶民(特に農・山・漁村)の生活実態、性の習俗を中心に、地域社会共同・宗教との関わり等、人間性を捉え、歴史的な面にまで遡って、自由・活発に話がでる。ときに、とんでもない、方向へと飛躍することが、また面白い。
 昭和ひと桁の私たちにとって、断片的に聞いたことのある言葉であっても、道徳教育を受けた既成の観念からは、読んだ内容は驚きの連続であった。しかし、閉鎖された地域社会で、当時の生活習慣として大人から教えられ、指示されて育てば、このようなことを経て大人になるのかと受け入れ、善悪の倫理意識も生じることもなかったのであろうか、とも、思わされた。これらを通じて、更に戦中のことにも思いをいたし、教育の影響力・怖さ・大切さわ知らされたように思う。
 次のテキストは、岡崎照男約の「パパラギ」である。ゼミではまだ半ばまでしか読んでいない。(一応、予習として通読した。) 副題にあるように<はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集>であり、パパラギ(白人)の文化・文明への素朴な驚きと疑問が、期せずして痛烈な批判となっている。
 酋長ツイアビがヨーロッパ旅行で見聞した、ヨーロッパ人の生活と文明の諸産物について、彼の深い洞察力・鋭い観察と卓抜な表現力に驚かされる。彼は、機械・技術の所産について、脅威の眼を向け、たとえば、「だがおまえは、細く長い虫のような陸舟で行くこともできる。この陸舟は、絶え間なく煙を吐き続けながら、長い鉄の帯の上を、たいへんな速さで滑るように走る。十二人漕ぎの舟が、全速力で漕ぐよりもっと早い。」(34頁)と、汽車を連想させる記述をしつつも、チクリとした批判の言葉を添えることを忘れていない。
 わたしは、自動車についての彼の見方に関心をもったが、まだ出始めで一部貴族の乗りもの的存在のため、彼の目にあまり触れなかったのであろうか「車を走らせたり、馬に乗ったりしている。」(33頁)の記述があるのみで、この車も自動車か馬車か判然としない。かりに、彼が現地で見たり、乗ったりしていたら、どのように論述するだろうか。彼に成り代わって論述するのものも一興と、試みようと思ったが、資料不足で断念した。(自動車の発達史、とくにヨーロッパの生産・利用状況の時代考証のための資料が市の図書館になし。)
 このような着想を触発させてくれるテキストでもある。今後の会での学び、進行が楽しみである。
                                           以上
 会を通して柔らかい感性を
                                                鈴木 桂子
 本を読んでそれについて話し合うという蔦の会に誘われ、久しぶりに自分を飾らずに話し合える機会が与えられ、嬉しく思っています。今の所、主人との会話は相談事が多く、こちらが望む様には会話が膨らんでいきません。おしゃべり相手は女性ばかりですので、リードしてくださる先生がいらっしゃるということ、男性が多いという事も視点の異なる話が聞けると期待しています。
 今、大人の間でも若者の間でも他人との関係が希薄になっているにも関わらず、群れている方が安定しているという現象があります。我子をみていてもグループの一員である事は結構大切なようです。“群れる”ことは、グループの誰かに合わせる事が必要となってきます。自分の考えや感じた事を相手に伝えるのは難しいことです。言い合いやケンカになるなら自分が我慢した方が簡単なのでストレスを抱え悩む様になるのではないでしょうか。私の親子関係でも何で親なのにこんなに我慢しなくてはならないのかと腹が立つ事があります。が、良く話し合いもせず、自分だけで自分に納得させていたつけだと思って、修正の方法を模索している所です。
 最近の事件等を聞くにつけ、表面的な会話ではなく、相手を尊重する話し方が出来れば事件にならなかったのではと思ってしまいます。文部省はゆとりの教育を唱えているのですから、学校教育の内で1つの本を読んで話し合う時間を作って、1つの文章でも感じ方や考え方が違う人がいるという事、さまざまな個性があると理解し合える授業をしてみれば・・・・と思います。話し合う大切さ、意見を聞く大切さ、頭も柔らかくして、この会を通して学んでいきたいとおもっています。
 雑感(読書とは)
                                和久 輝光
 私にとって、読書とは何だろうと振り返ってみると、結構いろいろなことが考えられる。
 「あなたの趣味は?」と聞かれたり、書かされると決まって第一に「読書」と答えたり、記してきた。はたして本当なのだろかと疑問に思うことがあった。確かに本を読むことは好きであった。幼少のころから大人の雑誌等に目を通していた。学生時代も、社会人になっても本は読み続けてきた。量も多くのものをこなしてきた。しかし、その場限りのものが多かった感じがする。学生時代は、時間がなかった割には図書館に居座って数多くのものに目を通した。つまり、素読であった。それでもそれなりに満足のいくものであった。社会人になりたてには、多少の収入もあり文学全集もかなり集めたが思ったほどはこなせなかった。書の上を浅くただ目を通したのに過ぎなかった、故に、「読書」が趣味と言えるのはなはだ疑問に思う訳であった。
 定年になったら時間の余裕もできじっくりと「読書」に時間をと思ったところもあった。現実としていざ定年になったがほとんど書にふれても素読で終わっていた。何か情けない気持ちであった。
 そういう祈りに「蔦の会」のメンバーに加えていただき、先生と会員の皆様とで「夜這いの民俗学」「パパラギ」を読むようになり、自分が目指していた「書を読む」本当の気持ちが得られた気がした。
 こういう機会を得られたことに幸せを感じつつ今後も趣味としての本来の「読書」を続けて実のある人生を送りたい。 
 視点をかえよう!   
                                               友部 香代子
 これを読んでいる、あなた。今の時代に生まれて、生きて、良かった?昔じゃなくて、今で良かった?今で幸せ?どうして?本当に今が幸せなのかどうか、考えた事ある?
 今は、モノがいっぱいあるね。ケータイもパソコンも・・・(私も持ってるけど)。モノがいっぱいあって便利、モノのない昔は不便。だから、幸せなのは今?
 今は、いろんな自由があるね。昔は窮屈だった?
 女性は、昔は虐げられてた?今は、そうではない?
 恋愛はどう?おおらかなのは今で、昔は制約がたくさんあった?・・・多分、そんな風に、教えられたような気がするね。
 でも、本当にそうなのか、もう一度、昔を振り返ったり、視点を振り返ったり、視点を変えたりして、謙虚に今を見つめなおしてみない?学園一の人気を誇る、染谷先生と一緒に!!
 「生きているということ」
                                                 赤津秀直
 「人間とは」「生きる」とはなにか。10代後半から私はこの問題いにふりまわされてきた。何をやっても楽しくない。この問題ととりくんでいる時に生きているという感じだった。この頃は、文学に接し、宗教に接しても、心にピーンとくるものがなかった。
 そして、社会人となり社会生活を送っているうちにいつしか「人間とは・・・」と考えなくなってしまった。誠にうすべらな会社生活を送ってしまった。
 定年を過ぎて余裕が出来たとき、人間とは何だろうか。生きるとはどんな意味があるのか・・・またまた心の中に湧き上がってきた。
 昔から心はすべてであって「物質は念の映像」にすぎないという唯心主義の学説と物質はすべてであって心というものは、物質の化学作用の一種にすぎないという唯物論とか交替にとなえられてきた。
 ある時代にはもっぱら唯物論が盛んになるかと思うと、つぎの時代にはその論拠を打ちやぶっていっそう唯物論が勃興してしるという順序になっている。
 私はどちらかというと、最初から唯心論の方が心にピーンと来るものがある。
 最近の科学、特に物理学の量子論に於いて「物質とは形のあるものではなく、単に一種のエネルギー(生命力)が形にあらわれているものにすぎないということまで説明している。
 有名な「般若波羅密多心経」の中にある。「色即是空」“色(物質)は即ち是空である。”といっている。物質そのままで空なのだ。あるとみえてもそのままではないのだ、といっている。次の「空即是空」“空無そのままに物質なのだと書かれている。肉体も物質も何でもない。その無いそのままに私たちはここにいる。「物質も肉体もないままにここに自分がいる」「霊なる自分」があることを再発見する。これを復活といい新しく生まれるともいう。
 「ここに生きているのは物質に非ず、肉体に非ず、体である」と云っている。驚くべきは「心無OO」といっている。わしがと思う「心もない」という。「心を観ずるに心なし」と。
 般若心経は「ないものづくし」だ。目も耳も鼻も体もない。ズンベラボウだ。そのズンベラボウもないのだと、一切を否定しつくしている。こうして何もないことになったら、自由自在である。何かあると思うから、心が、その「ある」と思うものに引っかかって自由自在を失うことになる。だから、この般若心経はすばらしい、という。
 私には未だよく理解できないが、素晴らしい真理があると思っている。今の時点で分かったことは、次の三点である。
 この人生は、魂の学校であるということである。人生には、色々と問題にぶつかるが、その問題は、@これまでの生き方を変えよというメッセージであることA今の環境に全力を尽くしていれば道が開けてしるということ、決して現実から逃れないことBすべての問題は現在の自分より素晴らしい次元の高い自分があることを発見する“神へ栄光へあうわれんがためなり”である。この問題があったから、現在の自分があるということである。
 このように人生は魂の向上の旅であると理解している。これからも「般若心経」を読んで理解を深め、現実にに実行しつ充実した人生、充実した老後を送りたい。
 よく死んだら財産をもっていっけないから空しい、というが、死んでも持っていけるものがある。魂の向上である。生まれたときより魂が しくなり、魂が向上したなあといって死んでいきたい。
 そのために般若心経を理解しその哲理を行じていくことが最も大事だ。人生とは、毎日毎日が行の積み重ねで魂を向上させ少しでも他の人のために尽すことだと思っている。
 換言すれば使命と果たすことである。死ぬとき“もらった人生”だったなあと感謝して死んでいきたいと願っている今日このごろである。
 「パパラギ」の感想
                                                村田 清司
 パパラギーと、えも不思議な響きをもった言葉。サモア語で“空を打ち破って来た人”という意味だと言う。
響きだけでなく意味も不思議。(本文132頁)
 その昔、帆船に乗った宣教師がヨーロッパ人としてはじめてサモアにやって来た。
 サモア人は遠くからその白い帆を見て空に開いた開いた穴だと思い、その穴を通ってヨーロッパ人がサモアの島々にやって来ると信じた。パパラギとは、「空を破って現れた人」ヨーロッパ人のことである。
 酋長ツイアビ、(本文6頁)ウポル島(西サモア:現サモア)ティベアに住む。おだやかそうな親分そうな大男、背が2メートル以上もあってがっちりとした体つきにもかかわらず女のような細いやわらかい声。濃い眉に覆われた大きくて黒い目。人が話しかけると冷たい目は燃え上がり心暖まる明るい光を放つ。おだやかで滑稽な人なつっこいサモア人酋長。万有百科大辞典 小学館NO.21 36頁(昭和58年6月20日初版代15版) 写真:ポリネシア人(西サモア)から何となく雰囲気が感じられる。
 酋長の最初の挨拶「私のものはおまえのもの」盗むと言う概念も島民の間には縁遠いものである。すべてはみんなのものであり、すべて神のものである。我々もこのような世界にタイムスリップしてみたいものだ。茨城新聞 平成12年3月6日によると、ここでは他人のひざも椅子代わりとのこと、サモアのバスは危険を防止するため立ったまま乗ってはいけない。座席数以上にお客が乗って来た時、奥の座席からどんどん人のひざの上に座っていく。危険防止と言い、和気あいあいのなごやかな雰囲気が浮かぶ。
 よろしくおねがいします           
                                              保泉江身子
 慶応大学の視察旅行から帰った日、留守電に赤津さんの「電話を下さい」とのメッセージ、期待に胸ふくらませ、早速電話をしてみた。
 あの電話のお陰で、私は、蔦の会に参加させてもらっている。
 このユニークな蔦の会に。メンバーは老若男女。(若い男性がいないのがちょっと寂しいが・・・?)しかも、いきなり赤松さんの『夜這いの民俗学』から始まったのである。人前であの本を読むなんて、もう恥ずかしい歳でもないが、やはりちょっと恥ずかしかった。今、『パパラギ』になってほっとしている。
 これからもよろしくお願い致します。