2010年度 後期キリスト教講演会礼拝のご案内

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2011年度 後期キリスト教講演会のご報告

日時: 2011年11月9日(水)10:30~
会場: ローガン・ファックス記念講堂

テーマ:苦しみを喜ぶ ~震災の渦中で何を見たか~

講師: 佐藤彰先生(福島第一聖書バプテスト教会牧師)

 


 

今年の震災を覚え、被災した福島第一聖書バプテスト教会の佐藤先生をお迎えして後期キリスト教講演会を行いました。約90名の学生・150名の一般の方が来場され、先生のメッセージに耳を傾けました。佐藤先生は忙しいスケジュールの都合をつけてはるばる茨城まで来てくださって感謝でした。先生に会いに福島第一聖書バプテスト教会の方やいわきの教会の方もいらしてくださいました。講演の後、たくさんの方が直接先生と言葉を交わしていました。

 

 現実はメディアで見るのと違います。        聖書のことばにたくさん励まされます。              会場の様子

 

 最後のお祈り 佐藤先生とバットン総長             受付の様子             「苦の先に喜あり」と励ましのことば            


<講師略歴> 佐藤彰 (さとう あきら)

1957年 山形市に生まれる。1982年4月新学校卒業後、福島聖書第一バプテスト教会に赴任。2011年3月に福島原発から5km県内のため強制退去を余儀なくされ、建設わずか2年の教会堂を失ってしまう。絶望的な状況の中で多くの人に希望のメッセージを届けるため活動中。2011年7月「流浪の教会」出版。ほか、著書多数。ちえ子夫人との間に3人の子供がいる。

 

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学生の感想

震災のあった前日から13日まで私以外の家族は全員海外に行っていて、1人で2日間を過ごしました。あの2日はとても怖かったですが、今回の福島原発付近の教会の話を聞いて、親など親しい人が亡くなったり、家が壊れたりと大変だと思いました。帰りたくても帰れない。とても考えられないことだと思います。 私は今、2週間に1回1泊で被災地にボランティアに7月から参加しています。行ってみなくては分からないことが多くあり泣くことも多くありました。現地が「ボランティアが邪魔だ」と言われる日まで積極的に参加したいです。 今回は、このような講演会に参加できとても良かったです。ありがとうございました。頑張ろう!日本!!

 

今日の講演を聴いて、苦しみを受け入れるのはとても難しく、耐え難いことだが、後に良いことが返ってくるならば、苦しみはあるべきだと思った。 苦しみを喜ぼう、受け入れようという佐藤さんの教えて下さった考え方に沿えば、私も苦しみが来ても乗り越えられると思った。 今回の震災は、一見、最悪な出来事であったが、見方を変えると、家族の絆、人のあたたかさなど、プラスな面を改めて確認できた、良いことでもあるのかなと思う。

 

苦しんで何もかも失って幸せと語る聖書が、初めは許せませんでした。でも、佐藤さんの話を聴いて少し意味が分かったような気がします。 「人はプロセスに感動し、喜ばなければ、一体何に喜ぶのか?」いままではプロセスより結果だと思っていました。どんなに努力しても勝たなければ、達成できなければ意味がない。この考えを、改めようと思います。

 

佐藤さんのお話を聞いて、福島県の人々が本当に辛い思いを今もされているということを改めて感じ、胸が苦しくなりました。「最近余震も落ち着いたね」と友人と話していた自分自身がとても恥ずかしく感じました。以前テレビで、80歳くらいの女性が「家も家族も全てを失い、そして1人になった。どうして私1人だけ生き残ってしまったのか。あの時、死んでしまったほうが良かった」と言っていました。戦争も体験し、辛い思いをしてきた人が、なぜ再びそのような思いをしないといけないのか。なぜあの震災で命を落とさなければならなかったのか。なぜ私のお母さんが?なぜ私の子供が?なぜ原発が?なぜ神様、守ってくれなかったのですか?きっとこのように思った人は少なくないと思います。しかし、気仙沼の中学生の「天を恨まず運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命」という言葉がとても心に響きました。私はこの災害から多くのことを学びました。もしかしたら東海原発でも同じことが起きていたかもしれません。 風評被害や避難で苦しいはずの福島県の人々の、光を見つけ出して前に進もうとする姿に、勇気をもらいました。同じ国内で起きていることですから、痛み苦しみを共有するのは当然です。少しずつかもしれませんが喜びも共有できるよう、自分に出来ることを細く長く続けていけたらと思いました。

 

佐藤先生は、本当に神と共に生きているのだと感じた。茨城は被災地だけれどとなりの福島は比にならないと思った。苦しみの中にありながら先生は自分より教会、信じる人を第一に考えていた。「人々は神を感じた」というのも、その信心が神様に届いたからかと思う。イザヤ書の中の王様の姿が佐藤先生そのままだと思う。私は高校でキリスト教に出会い、3年間聖書を学んできて正直ピンとこない時が多かったが、3月11日に私もまた災害にあった時、日常生活で初めて神に祈ったのを覚えている。苦しかった被災の中で、喜ぶことなんかないと思っていたけれど、私たちは今、字をかく環境があるのも、こうやって話をきけるのも、すべてがあの時からみたら幸せだと思った。 最近色々と落ち込むこともあったけれどそれすらも恵まれていると強く感じた。

 

今回の講演をきいて、改めて、地震での被害の大きさがわかった。私の知り合いに富岡に住んでいる人がおり、被害の大きさを聞いてはいたけれど、実際の写真を見て、思っていた以上の被害の大きさにおどろいた。3月11日の大震災の前に戻ることが出来るのならば、海や大地に言葉をつたえたい、という話を聞き、そのとおりだと思った。大地震は天災だから、誰もうらむことは出来ないけれど、原発での放射能汚染は人災だと思う。原発問題でどれだけの人が苦しんでいるかと思うと悲しくなる。これから前向きに復興していけばいいと思った。

 

震災のことはテレビやインターネットでしか聞いたこと、見たことがなかったので、被害を受けた人の話を初めて聞きました。すごく怖かったと思うし、大事な物を失った人たちに私は何かできることはないか、改めて考えたいと思いました。逃げないと助からなかった人、逃げなければ助かった人、実際に判断は難しかったと思うし、考えたらきりがないと思うけど、何か将来のために復興のために今後のために早く元に戻れるようになってほしいと思いました。4:13の“むしろキリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい”という言葉が印象に残りました。

 

佐藤さん本人も被災してつらい経験をしている中、多くの人達に希望を与えるための講演会を行っていることがすごいと思いました。茨城県ではほとんど普通の生活を送れていますが、八ヶ月たった今でもすぐ隣の福島県では地震発生当時のままの状態が多くあり、少し北へ向かうだけでこれほどの違いがあることに驚きました。原発の影響などによって、自分の町に帰ることができず、たいへんな思いをしている中、元の生活を取り戻そうと頑張って前に進もうとしている気持ちが伝わってきました。

 

3月11日以降の福島、それも原発周辺の写真を見て、テレビの放送で見ていたものよりもよりリアルな被害の状況が伝わってきておそろしかった。また、震災後に福島県民の人たちが他県に避難した際に様々な嫌がらせや心ない言葉をあびせられていたということを聞いてやるせない気持ちになった。しかしそれらの苦しみも、神からの試練であり、幸福である、というのを理解するのは自分には少し難しいが、小さな出来事(幸せ)が大きな幸せだったと知った、という話は印象に残った。

 

今回の講演を通して、約8ヶ月前の忘れかけていた東日本大震災の記憶が蘇りました。また、講師の先生の話を聴き、自分は今普通に不自由なく生活しているが、まだ避難を余儀なくされている人、身近な人を亡くした人がいることを忘れてはいけないと感じた。自分の体験をもとに全国、世界各地に励ましのメッセージを伝えている講師の先生には1人でも多くの方を勇気付けてほしいと思う。また、自分自身も、もう一度この震災について考えていきたい。 今回の震災は辛く、悲しいことだけれども、神が与えた試練なのだと講演を聞いて感じた。

 

津波は、大勢の命、建物を一瞬で奪いました。今でも、家族が見つからない人は、たくさんいます。自然の力は、とても恐ろしいことを思い知らされました。なんの罪もない人達がなぜ死ななきゃいけないのか。とても命がもったいないと思います。そんな中、世の中では、自分の命を自分の手で断つ人もいます。信じられないことです。生きたいと思ってる人が大勢死んだのに、生きてる命を無駄にするのは、もったいないことです。誰かが言ってた「自殺は大罪だ」という言葉は、そのとおりだなと今回の震災で改めて考えさせられました。

 

佐藤さんの講演は、本当に大切なものが何か思い出させてくれた気がします。被災中、やっとの思いで食べられたおにぎりがどれ程おいしかったかを思い出しました。何度も繰り返される安否確認のラジオを聴いている時、言葉にできない悲しみを味わいました。数え切れない数の人々が震災の被害にあっているのを目前にしながら、食事がただ温かいというだけで喜ぶことのできる心に感動しました。“貧しい時ほど心が富まれる”という事に、自分がどれだけ幸せかを改めて実感しました。この様に感じた気持ちをいつまでも忘れてはいけない。不幸な時なんかない。そんなことを思わせてくれる講演でした。

 

今日の講演の題名を見たとき、どんなお話なのだろうととても興味を持ちました。お話の中で何度も泣きながら礼拝をしたというところはとても心が痛みました。プロジェクターの映像で津波で壊れた家を見たときは言葉が見つからないくらいショックでした。避難した土地で心ない差別を受けた話は、怒りよりも悲しみが込み上がりました。 福島の人たちがどれだけ辛い思いをしたかが伝わってくるようでした。 ペテロの手紙を読んで題名の意味を知り、深いなと思いました。 佐藤さんが3月11日生まれという事で娘さんに言われた「この日のために牧師になったんだと思う」という言葉にすごく感動しました。 こんなに大変で苦しい思いをしているのに、それを試練と考えることのできる佐藤さんや福島の方は本当に強くて素晴らしいと思いました。
そして今日の話を聴いて自分がどれ程幸せであるか改めて思い知ることもできてよかったです。

 

建設2年で教会がなくなったというのは、あまりにもひどいのではないか。ほかにも家やら何やらなくなったというし、自分なら耐えられないと思った。しかし、それでも自分にできることを探してそれに全力をそそげるのは何かを悟ったからなのだろうか。自分は特に宗教を信じてはいないが、信じることで救われる人はいるのだろうと思った。やはり人はどうにもならないときはとりあえず何かにいのるものだ。人に宗教は必要なものなのであろう。仮になくなってもまたすぐに新しいものができるにちがいない。

 

震災の悲惨さを改めて思い知りました。子供たちが古いランドセルでも喜んで学校に言っているという話や、みんなでいのっているという話をきいて、ひどい状況の中でも懸命に前向きに生きようとする姿勢に心を打たれ、今以上に自分にできることを見つけて、やりたいと思った。また、そのように頑張っている人に負けないように、自分も必死に生きようと思った。また、先生は「何でこんな目にあったのだ」ではなく、「この時のために生まれてきた」と考えているのを聞いて、そんな考え方をできる先生は本当にすばらしい人だと思いました。

 

 

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2011年度 前期キリスト教講演会のご報告

日時: 2011年6月7日(火)10:30~
会場: キアラ館礼拝堂

テーマ:祈りの力 

講師: 清野勝男子先生(土浦めぐみ教会牧師)


 

今年度のチャペルテーマ「祈り」にそって前期キリスト教講演会を行いました。

約70名の学生・一般の方が来場され、先生のメッセージに耳を傾けました。

前半は先生の宣教地インドネシアの人々との和解、マザー・テレサの祈りと愛の行動についてお話しくださいました。

 

 

講演の後、オープンな昼食会で学生との会話を楽しみました。

インドネシアの宣教師時代の話、土浦の花火大会の話など面白い話題がたくさんでました。



<講師略歴> 清野勝男子 (せいの かつひこ)

1967 明治学院大学英文科卒業
1970 東京基督神学校卒業 
1970~75  愛知県 安城中央教会牧師
1975~86  日本同盟基督教団 インドネシア派遣宣教師
1986~90  Fuller Theological Seminary (米)フラー神学校留学
1990~現在  日本同盟基督教団 土浦めぐみ教会 主任牧師 
1991~現在  東京基督教学園および基督神学校 非常勤講師 

 

 

学生の感想

 

○究極の意味を求めるのが祈りだと聞いて、今まで「祈る」ということに関してあまり深く考えて事がなかったので、すごく考えさせられました。何をするためにも求めることは必要不可欠だし、意味を求めるために「祈る」ことは重要だと思いました。私もそういう姿勢を大事にしていきたいと思います。

 

○先生の話を聞き、戦争による人々の憎しみや悲しみはとてもつらいものだと感じた。しかし、人々の憎しみは人の優しい気持ちや言葉によってなくすこともできるのだと感動した。また先生の「助けを求める叫びが祈り」「人生を問ううめきが祈り」という言葉がとても印象的だった。講演を聞く前は、私はそれほど多くは自分が祈ることをしているとは思っていなかった。だが先生の言葉を聞き、私は絶えず祈り続けているのだなと実感した。マザー・テレサの話では、考えさせられる内容ばかりだった。テレサは本当に満ち溢れた人だ。彼女のような立派な活動をすることは難しいが、私も人々に愛を差し伸べることができる人間になりたい。今日は先生の講演を聞くことができて本当に良かった。今後絶えず祈ることを大事にしたい。

 

○祈りとは人生の意味を問うもの。叫びでありうめきだ。・・・祈りとは人生そのものだ!今まで祈りは目をつぶるものと考えていた私なので再び、祈りということを考えさせられる講演でした。日本は平和です。食べ物だってある。家だってある。「死を待つ人の家」なんてない。毎日このように平和に穏やかに生活できることを感謝します。また原発が早く終結し、故郷福島へ再び帰れるように祈ります。

 

○「祈り」というのはただ自分の願望を願うことだと思っていたが、清野先生の話を聞き、私の中での祈りのイメージががらりと変わった。マザーテレサについてはある程度のことは知っていたが今回あらためてマザーテレサについてを学び、彼女は本当に優しさに溢れ、愛に満ちた人だと思った。


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