長期交換留学制度発足20周年 留学体験記
| 英作文から生まれた友情 1989年度 オクラホマ・クリスチャン大学への長期交換留学 キタミ ヨウコさん |
OC長期交換留学の第2期生として、米国に留学したのはもう20年近くも前のことですが、今でも強く印象に残っているのはMcCormack先生のComposition I(作文I)の授業です。授業前の予習はもちろん、2週間に1度の作文提出に、150ページの日誌を書く課題も出されました。すべて米国人学生と同じです。日本語でさえ書き慣れていないのに、その上英語で自分の考えを表現するなんて……。放課後、毎日のようにテューターのRenaのもとに通いました。彼女はジャーナリズム専攻の4年生で、私の日本的発想の英作文をいつも忍耐強く添削してくれました。おかげでどうにか単位をもらうことができ、どんなに安堵したことか。辛い辛い英作文の授業でしたが、英語のIdiomaticな表現を学べたこと、そしてRenaというすばらしい友達に出会えたことは、その後の私の留学生活を2倍にも3倍にも豊かなものにしてくれました。 |
| 中国天津留学を振り返って・・・ 1997年度 天津師範大学への長期交換留学 コンドウ タカヒコさん |
在学中は94年の第1回短期留学を始め、長期留学など3度の留学プログラムへ参加いたしました。3度も参加したワケは何か、それは学んだ言葉を生活の中で話すことの楽しさや、人民のパワーを文化や人々から学べることにあると思います。 卒業後は1社を経て、台湾のITメーカー“ベンキュー”の日本支社へ転職し、日本語、中国語、英語が飛び交う職場環境の中で、営業職として日本のニーズを、開発担当へ中国語で直接伝える業務に携わっております。そして今でも、留学中の経験は、仕事の原動力となっています。 一昨年は、1週間の休暇を利用して両親と念願の天津師範大学を訪れ、留学中大変お世話になった孫先生をはじめ、諸先生方に再会することができました。 きっかけはどうであれ、在校生の皆さんには留学へ参加する機会があれば、考えるより行動を、迷わず飛び込んでいって欲しいと願っております。 《参加年度》 1994年第1回中国天津師範大学短期留学 1995年第2回中国天津師範大学短期留学 1997年第2回中国天津師範大学長期交換留学 |
| 留学で得たもの 1998年度 アビリーン・クリスチャン大学への長期交換留学 アベ チハルさん |
「これから精一杯英語を勉強して、必ず、今度は長期でこの国に戻ってくる。」高校1年の時、初めてのアメリカへの短期留学を終えた帰りの飛行機でそう心に誓った。それから、私の英語の授業への取り組み方はガラッと変わった。それ以前の私の英語の成績は悪く、英語に対する興味もあまり持っていなかった。しかし、このたった1ヶ月の短期留学の経験が私を変え、英語をもっと学びたいと強く思う目的意識を持たせてくれた。その後、大学に入学し、長期交換留学プログラムに参加したいと思うようになった。参加できる条件のTOEFL 500を何とかクリアし、いざ渡米が決まった時は、本当に嬉しかった。その時点ですでに最終目的を達成したような気分になっていた。 私が9ヶ月暮らしたAbileneはDallasから車で西に2時間程のところにある町。素敵なカフェやかわいい本屋さん、ママが優しいおいしいタイ料理屋やメキシカンのお店、今でもその味と大きさが忘れられない本当においしいステーキのお店などなど、小さい学生の町だがとても好きな町になった。 Abilene Christian Universityでの最初のセメスターは、TOEFL520を突破するまでESLで勉強することになった。それを突破しないことにはアメリカ人と一緒に肩を並べて勉強出来ない。とにかく基礎からの英語を徹底的に学ばせてもらった。授業は全て英語でのみ行われるので自然と英語で聞いて英語で考える力が身に付いたと思う。他の色んな国からの留学生とも接することが出来てとても楽しい日々だった。授業中もどんどん意見や質問を言い合うような雰囲気で、その場で分からないことは分かるまで聞くという姿勢が自分にとって勉強になった。 次のセメスターでは、ついに念願の正規の授業が受けられる事になり喜んだが、それはそれでとてつもなく大変で、英語だけを勉強していればいい最初のセメスターとは違い、宿題も100ページ近く読んでくるなどの宿題が普通に毎日あって、毎晩図書館で夜中まで(図書館は12時まで開いていたので)勉強した。授業は、必修がBibleで、English Writing, Teaching English as a Second Language, Pottery(陶芸), Tennis などの好きな科目を選択した。グループになってディスカッションしたり、プレゼンをしたりなど、受身でなく自分たちが中心になるような緊張感のある授業が多かった。変わった授業を取ってみたくて選択した陶芸の授業は、専門用語が分からなくて最初は大変だったが、勉強ばかりで行き詰まった時や空いた時間などにろくろを回して、気分転換にもなりとても楽しかった。 住居は、University Apartmentという大学の敷地内のアパートに、アメリカ人2人とトルコ人の4人で住んでいた。初めはアメリカ人のルームメイトの英語の話す速さに全く付いていけず、何度ももう少しゆっくり話してほしいと頼んだ。それでもちっとも速さは変わらなかったが、数ヶ月位経つと気にならないくらいには聞けるようになってきた。 毎週決まった曜日に教授の家で開かれるBible Studyに行ったり、週末は友人に礼拝に誘われて、色々な教会にも顔を出した。私はそこで讃美歌を歌うのが大好きだった。私にとって全てが新鮮で、多くの事をこの9ヶ月で経験した。時には、他国からの生徒と人種や宗教の違い、当時世界で起こっていた紛争などについて真剣に話したりもした。 とにかく毎日が充実していた。今でも当時のことは鮮明に覚えているし、本当に行ってよかったと思っている。当時一緒に暮らしていたルームメイトとは、今でもメールで連絡を取り合っていて、いつかまた皆で再会しようと約束している。 もちろん、留学は楽しいことばかりではない。恥もたくさん掻いたし、授業で緊張して手が震えたり、嫌な思いをしたこともあった。でも、そういう事も含めて勉強になったし大切なことを気づかせてくれた。 今は結婚して1児の母になったが、学生の時にそういう経験が出来たことをとても幸せに思う。世界にはしたくても出来ない人、勉強したくても出来ない状況にある人がごまんといる。だから、自分が今行ける状況にあるならば、それを大いに利用してたくさんの学生に色んな意味での人生経験をしてほしいと願っている。 |
| 素晴らしい留学生活 2001年度 オクラホマ・クリスチャン大学への長期交換留学 サワハタ ミキさん |
私はOklahoma Christian大学で、大学の3年目を過ごしました。OCへは短期で2回行っていて、日本ではホストファミリーもしていたので、初めて単身で行くことは不安ではありませんでした。5月のうちに行ったので始めはアパートに住んでいました。旧友との再会や新しい友達との出会いがあり、とても心強かったです。OCの授業がスタートしてからは、噂に聞いていた通り宿題の多さに驚きました。大変でしたが、放課後に友達と喫茶店までドライブして勉強していたので楽しかったです。カフェテリアで食事をすると友達の輪がどんどん広がるので、毎日にぎやかで全くホームシックにかかりませんでした。あのオープンな雰囲気がとても好きです。 皆家族と離れて生活している分、友達との絆がとても強かったと思います。英語だけではなく、本当に沢山のことが身に付いた、とても素晴らしい留学生活だったと自慢に思っています。 |
| スウェーデンに留学して「fika─心にゆとり」 2001年度 ヴェクショー大学への長期交換留学 アダチ サトコさん |
大学在学中の2001年9月からスウェーデンのVaxjo大学へ留学し,そこでさまざまな経験をすることができました。私が大学を卒業し社会に出て思うことは,「心にゆとり」を持って生活することです。スウェーデン語で「fika」という言葉があります。これは「お茶の時間」という意味です。休みの時はもちろん仕事が忙しい時でも,fikaをします。ドイツ人の友達から,日本人は仕事人間だ,と冗談混じりに言われることがありましたが,社会人になり,この「fika」が大切だということを知りました。自分をリセットしてくれる時間であり,仲間とコミュニケーションを図る時間だと思うようになったからです。Fikaを通して,心のゆとりをもち,仕事を効率よくこなすことができるのだと思います。またスウェーデン人は余暇を本気で楽しみます。ここにも「心のゆとり」が表れていると思います。森を散策したり,映画を見たり,ビールを飲んだり,おしゃべりを楽しんだり,と。そんな時間がとても懐かしいです。 もう一つ学んだことは,「いろんな人がいる」ということでした。スウェーデンには,スウェーデン人をはじめ,戦争を逃れてきた人や宗教の違う人,Adapted Childrenなどさまざまな人が暮らしています。そのような人たちが当たり前のように受け入れられ,暮らしていることはとても衝撃でした。現在中学校で働いていますが,子どもたちを見るときでも,この子にはこの子自身のペースがある,と考えるようになりました。「心にゆとり」を持ち,自分の仕事や生活を楽しみたい,そう思う自分があるのは,スウェーデンへ留学できたことが大きいと思っています。 |
| 再びスウェーデンへ 2001年度 ヴェクショー大学長期交換留学 ハギワラ アキコさん |
“世界の同世代の人達は、どんなことを考えて生きているのだろう”そう思ったことが、この留学のきっかけでした。国際性を柱に据えているヴェクショー大学で、私はスウェーデン人をはじめ、ドイツ、オランダ、ポーランド、メキシコなど数多くの留学生と交流することができました。私は、最初の半年間を寮で過ごし、残りの半年間を、スウェーデン人とチリ人の家庭でホームステイをしました。寮生活では、パーティーをしたり、パブへ行ったり、日本食を振る舞うなどして楽しみました。私の留学した年は、ちょうどアメリカの同時多発テロが起こった時期で、留学生同士意見を交わすなかで、各国、個人の置かれた状況によって意見が異なる事を身をもって学ぶことができました。又、私自身、ドイツの友人にベルリンの壁の事を質問した時に、悪気がなくても相手に暗い思い出を思い出させてしまった事や、移民の方の訴えを生で聞くという体験から、直に世界平和の大切さを痛感したこともありました。こういった事に対し、日本人として自分はどうするべきかという事を考えたり、時には、自分の語学の力不足を悩んだりする時もありました。 しかし、スウェーデンには、人の心を優しく包み込む自然と、洗練された街並や建築、家具など人の心を落ち着かせる生活環境がありました。私は、北欧デザインや、建築にも興味を持つようになっていました。私は、ストックホルムへ旅行に行った時に、ヨセフフランクという方のデザインした、一枚の布に出会いました。私は、その布を見た時にとても感動して、将来は、自分もこんなテキスタイルデザインをしてみたいなと思うようになりました。その時から、私は、自分の将来を視野に入れつつ、残りの留学生活を送りました。まず、働きながら独学でデザインを学ぶために呉服屋で働く事、そして、日本の文化の発信地である京都に住む事、そして、また、スウェーデンに行く事を目標として掲げました。スウェーデンに戻りたい、それはスウェーデンは、老若男女問わず、皆が平等に意見を言い合え、個人の意見が尊重される素敵な国だからです。 現在、その留学から帰って丸五年が経ちます。そして、留学時代に掲げた目標を一つ一つクリアし、英文科卒業にも関わらず、願っていた京都での扇子や和装小物のデザインの仕事に携わる事ができました。そして、今年スウェーデンへ向けて飛び立つ準備をしています。もしも、大学時代にスウェーデンに行く事がなかったら、海外の方と友好を結ぶ事も、ましてや、自分がデザインの仕事に就く事もあり得なかった事です。留学時代に得た夢のおかげで留学後も精一杯生きて、日本に居ながら、新しい発見ができる自分自身にもなりました。そういった一つ一つが留学体験から得た“宝”です。今後留学される方も、是非この留学からそういった、人生の“宝”を掴んでいって欲しいと思います。 |
| 温かい国・スウェーデン 2002年度 ヴェクショー大学への長期交換留学 トヨダ エツコさん |
一年間の留学は、現地に飛んだその瞬間から、全てが新しいことの連続でした。充実した毎日は、多くの出会い、特に寮生活仲間との出会いのおかげだと思います。スウェーデン人学生に囲まれた寮生活は、笑いと会話の溢れるとても楽しいものでした。一日の出来事を話したり、宿題を教えてもらったり、皆でロビーでテレビを見たり。数え切れないほどのたくさんの思い出があり、それらは今でも私の心の中にあの日の輝きのまま残っています。 衣食住を共にし、特に季節の行事を皆で行ったり、という日々から、私は「生きているスウェーデン文化そのもの」を自然と体験することができました。 自分から行動を起こすことで世界が開けていく。このことを気付かせてくれたのも留学が与えてくれた素晴らしい事でした。そしてそこには必ず多くの人の支えがあるということにも改めて気付かせてくれました。 留学の機会を与えてくれた茨城キリスト教大学の皆様、初めて親元を離れて暮らす私を見守ってくれた家族、手紙やメールで力をくれた日本の友達、つらいときも楽しいときもいつも一緒に過ごした現地の仲間。全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。 私は今でもスウェーデン語の勉強を続けています。何千回と「エツコ」と私の名前を呼んでくれた仲間の母国語を忘れたくない、何物にも代えられない特別な時間をくれたスウェーデンを忘れたくない。これからも挑戦は続きます。 |
| スウェーデン留学体験 2002年度 ヴェクショー大学への長期交換留学 イトウ アオイさん |
2002年8月、ヴェクショー大学に留学するためにスウェーデンへ出発しました。現地学生との寮生活・英語での授業・英語とスウェーデン語での日常生活、すべて私には不安を伴う初めての経験で、初めの数週間は緊張で胃痛を覚える程でした。“集団主義”社会から来た日本人には、「寮のフロアでたった一人のアジア人」や、「クラスで英語が一番話せない」、という事実だけで、自分から周囲に壁を作ってしまうのは簡単なことだったと思います。でもすぐに寮の仲間と仲良くなり、徐々に授業でも発言できるようになりましたが、個人を重んじる文化の中にあっても、相手への思いやりや協力が、いかに人間関係を築くために大切かを実感するとは、当初想像していませんでした。美しい建物、数多くの森や湖のあるすばらしい環境の中で、楽しい仲間たちと共に学び、生活できたことは、私の一生の宝ものです。社会人になり、様々な経験をする中で、あの一年間の留学生活を思う度に、留学を支えてくれた家族、大学の皆様、友人に感謝すると共に、楽しい思い出が、日々の生活に活力を与えてくれています。 |
| 「生きる」 2003年度 南京大学への長期交換留学 オオチ ユイミさん |
この留学を通して得たものは、私にとってとても大きく、かけがえのない1年間だった。言葉の習得だけではなく、たくさんの人との出会い、雄大な自然との出会い、そして自分との出会いがあった。会話には不自由な部分が多かった私だが、それでも仲良しの友達がたくさんできた。私は彼等を通して、言葉以上に存在を受け入れてもらえることの喜びを知った。また、休みを利用して旅行にもたくさんでかけた。まるで海のように広い川、果てしなく続く万里の長城、絵画の風景のような美しい山、どこへいっても雄大な自然に圧倒され、いつも感動して帰ってきた。広い世界の中で、人間は本当に小さなものだった。けれど、どこへ行ってもみんな一所懸命生きていた。貧しくても、小さい子は働きながら生きていた。小さな自分に何ができるかわからない。けれど私も精一杯生きよう。「生きる」ことを教えてくれた国だった。ありがとう。 |
| 中国、とても不思議でおもしろい国 2004年度 天津師範大学への長期交換留学 オオモリ フサコさん |
中国はとても不思議でおもしろい国です。人もとても優しくおおらかです。
留学中、とある旅行に参加した時のことです。目的地に着いたのはいいんですが、その地域に運転手は詳しくなかったらしく道に迷ってしまいました。その時、ツアーコンダクターの人は私たちの苦情を聞き大泣きでした。泣きたいのは私たちの方なのにと思っていましたが、泣いても状況は変わらないので待っていました。すると、新しいツアーコンダクターの人が来て「本当に申し訳ありません。すみませんでした。お詫びに歌を歌わせてもらいたい。」と言って歌を歌い始めました。歌を歌ってすまされるのだろうかとおもってバスの中を見ていました。すると、一緒に乗っていた中国人客は大喜びで、最後は拍手で「没问题!mei wen ti(問題ない)」と言っていました。私はその時日本ではこのようなことが起きたらニュースになるだろうし客は怒ったままでおさまらないだろうと思いました。しかし、彼らの考え方はそうではないのです。せっかくの旅行だからみんなで楽しもうという考え方でした。中国留学中いろんな人に出会い、いろんな経験をすることができました。その経験は一生の宝ものです。このような機会を与えていただきありがとうございました。 |
| 韓国に行って感じたこと 2004年度 明知大学校への長期交換留学 ハシモト マユミさん |
私は、第1期生として韓国にある明知大学に長期交換留学生として留学しました。韓国に、初めて行った感想は日本と似ていて違和感がないなということでした。しかし、どんなに似ていても文化は違うので、戸惑うことが多々ありました。一番、驚いたのは日本人だと分かると積極的に話しかけてくるところです。韓国では、日本語を習う人が多いので、私に日本語で話しかけてきました。初めは、とても戸惑いましたがそのうち仲良くなり、お互いに日本語、韓国語を教え合う仲になりました。教えながらも日本のいい所、悪い所を客観的に見れました。もちろん、韓国のいい所、悪い所についても考えることができました。実際、私はいま韓国の大学院に通っていますが、いつも思うことは、母国のことをもっと知っておく必要があるということです。韓国人の方が日本のことについて知っている人が多く、とても恥ずかしい思いをした覚えがあります。また、外国語を学ぶ上で、母国語を余り知らないと、外国語もそこまでのレベルにしか達しません。ですから、 これからは、日本のことについてもっと勉強し、そして韓国のことについて勉強していきたいなと思います。 |
| 混乱の果てにあるもの 2004年度 ヴェクショー大学への長期交換留学 イワマ ミナコさん |
いつになっても思い出すのは、あの場所である。それはヴェクショーの緑豊かな夏の湖畔でも、凍り付いた冬の湖を近道として横切るスウェーデン人でもない。湖から程近くにある大学の多国籍な学生寮だ。そこで私は多くの事を学んだ。ウィットに富んだジョークの大切さであったり、リビングで語る各国のロマンスの定義の相違。寒い国での防寒対策から、二日酔いに効く特効薬の作り方。日本を代表する“sushi”が与える感動や、廊下で開催されるボール遊びがヒートアップし過ぎた時に“Quit it, guys!”と言える勇気。そしてそんな生活を取り巻く言葉たち。 フランスのある政治家が残した「人は混乱の中から何かを得る」という名言。留学中は、そこで生活していくことで精一杯で、何かを得ているとは思わなかった。 しかし、あの頃の生活が今の自分に大きく影響し、2年経った今でもそれが誇りに思える。それは、その土地で出会った仲間と過ごす時間の中で、私自身が知らず知らずのうちに進化させられていったからに違いない。掛替えのない1年だった。 |
| 二つの夢 2005年度 ファンショー大学への長期交換留学 ヤマダ ヒロミさん |
早いもので、長年の夢だった、長期留学を終えてから2年が経ちました。大学の長期交換留学を志望した大きな理由は、経済的な支援を受けられること、そして、文化や習慣を通して、生きた英語を学び、自分の語学力を伸ばすことでした。それは、もう1つの夢である、中学校の英語の教師になるためでした。カナダのファンショー大学での学校生活は、英語を学ぶことはもちろん、各国の留学生たちと交流する場でもありました。そのため、日本の文化、歴史、習慣などについて、しっかりとした知識を持つこと、自分の意見や考えを言えることがとても大切になりました。留学は、語学力を伸ばすだけでなく、日本を見つめ直す良いきっかけにもなりました。さらに、ホストファミリーとの出会いは、留学生活を充実させただけでなく、一生の宝物になりました。4月から、夢だった英語の教師として、中学校の教壇に立ちます。長期留学で得た経験を生かし、生きた英語を教えたいと思います。留学に興味のある皆さんには、何事も諦めず、一生懸命に取り組んでほしいと思います。私も、そうしたことで、大きな夢を、二つも叶えることができました。 |
| ヴェクショー、知の都 2006年度 ヴェクショー大学への長期交換留学 ツツミ ヒデオさん |
題で言う「知」だが、未だに浅学だが、それなら留学に行く前は無学だったと言える。ヴェクショーはその成長の一部始終の舞台となった。大きく分けて生活と勉強の面で学んだことを紹介したい。生活において、食事の成す人付き合いにおける大きな役割。大学生にもなれば授業時間よりも、自習時間の方が多くなり、寮に居る間は専ら各自部屋にこもりっきりである。そんな中、毎度の食事に顔を合わせ、勉強から暫し離れ談笑に耽る時間は生活に必要不可欠だと感じた。各国の食文化を堪能すると同時に、食器の洗い方の違いにも興味津々だった。 勉強において、目から鱗が落ちた予習復習の効果。授業前に処理する予習問題、講義での確認、帰ってから講義の要点をノートで見直し。そして、次の授業の準備。この循環が、人は一回読むだけでは理解しないし覚えないという意味を説いた。つまり、この循環こそ理解と記憶の源なのだ。言語学を勉強していただけあって、各国の言語に人一倍敏感で言語オタクとも呼ばれた。 進路は帰国後5ヶ月現在未定だが、心は安定している。嘘かも知れない。 |
OC長期交換留学の第2期生として、米国に留学したのはもう20年近くも前のことですが、今でも強く印象に残っているのはMcCormack先生のComposition I(作文I)の授業です。授業前の予習はもちろん、2週間に1度の作文提出に、150ページの日誌を書く課題も出されました。すべて米国人学生と同じです。日本語でさえ書き慣れていないのに、その上英語で自分の考えを表現するなんて……。放課後、毎日のようにテューターのRenaのもとに通いました。彼女はジャーナリズム専攻の4年生で、私の日本的発想の英作文をいつも忍耐強く添削してくれました。おかげでどうにか単位をもらうことができ、どんなに安堵したことか。
在学中は94年の第1回短期留学を始め、長期留学など3度の留学プログラムへ参加いたしました。
「これから精一杯英語を勉強して、必ず、今度は長期でこの国に戻ってくる。」高校1年の時、初めてのアメリカへの短期留学を終えた帰りの飛行機でそう心に誓った。それから、私の英語の授業への取り組み方はガラッと変わった。それ以前の私の英語の成績は悪く、英語に対する興味もあまり持っていなかった。しかし、このたった1ヶ月の短期留学の経験が私を変え、英語をもっと学びたいと強く思う目的意識を持たせてくれた。
私はOklahoma Christian大学で、大学の3年目を過ごしました。OCへは短期で2回行っていて、日本ではホストファミリーもしていたので、初めて単身で行くことは不安ではありませんでした。
大学在学中の2001年9月からスウェーデンのVaxjo大学へ留学し,そこでさまざまな経験をすることができました。
“世界の同世代の人達は、どんなことを考えて生きているのだろう”そう思ったことが、この留学のきっかけでした。
一年間の留学は、現地に飛んだその瞬間から、全てが新しいことの連続でした。充実した毎日は、多くの出会い、特に寮生活仲間との出会いのおかげだと思います。
2002年8月、ヴェクショー大学に留学するためにスウェーデンへ出発しました。現地学生との寮生活・英語での授業・英語とスウェーデン語での日常生活、すべて私には不安を伴う初めての経験で、初めの数週間は緊張で胃痛を覚える程でした。“集団主義”社会から来た日本人には、「寮のフロアでたった一人のアジア人」や、「クラスで英語が一番話せない」、という事実だけで、自分から周囲に壁を作ってしまうのは簡単なことだったと思います。でもすぐに寮の仲間と仲良くなり、徐々に授業でも発言できるようになりましたが、個人を重んじる文化の中にあっても、相手への思いやりや協力が、いかに人間関係を築くために大切かを実感するとは、当初想像していませんでした。美しい建物、数多くの森や湖のあるすばらしい環境の中で、楽しい仲間たちと共に学び、生活できたことは、私の一生の宝ものです。社会人になり、様々な経験をする中で、あの一年間の留学生活を思う度に、留学を支えてくれた家族、大学の皆様、友人に感謝すると共に、楽しい思い出が、日々の生活に活力を与えてくれています。
この留学を通して得たものは、私にとってとても大きく、かけがえのない1年間だった。言葉の習得だけではなく、たくさんの人との出会い、雄大な自然との出会い、そして自分との出会いがあった。会話には不自由な部分が多かった私だが、それでも仲良しの友達がたくさんできた。私は彼等を通して、言葉以上に存在を受け入れてもらえることの喜びを知った。また、休みを利用して旅行にもたくさんでかけた。まるで海のように広い川、果てしなく続く万里の長城、絵画の風景のような美しい山、どこへいっても雄大な自然に圧倒され、いつも感動して帰ってきた。広い世界の中で、人間は本当に小さなものだった。けれど、どこへ行ってもみんな一所懸命生きていた。貧しくても、小さい子は働きながら生きていた。小さな自分に何ができるかわからない。けれど私も精一杯生きよう。「生きる」ことを教えてくれた国だった。ありがとう。
中国はとても不思議でおもしろい国です。人もとても優しくおおらかです。
留学中、とある旅行に参加した時のことです。目的地に着いたのはいいんですが、その地域に運転手は詳しくなかったらしく道に迷ってしまいました。その時、ツアーコンダクターの人は私たちの苦情を聞き大泣きでした。泣きたいのは私たちの方なのにと思っていましたが、泣いても状況は変わらないので待っていました。すると、新しいツアーコンダクターの人が来て「本当に申し訳ありません。すみませんでした。お詫びに歌を歌わせてもらいたい。」と言って歌を歌い始めました。歌を歌ってすまされるのだろうかとおもってバスの中を見ていました。すると、一緒に乗っていた中国人客は大喜びで、最後は拍手で「没问题!mei wen ti(問題ない)」と言っていました。私はその時日本ではこのようなことが起きたらニュースになるだろうし客は怒ったままでおさまらないだろうと思いました。しかし、彼らの考え方はそうではないのです。せっかくの旅行だからみんなで楽しもうという考え方でした。中国留学中いろんな人に出会い、いろんな経験をすることができました。その経験は一生の宝ものです。このような機会を与えていただきありがとうございました。
私は、第1期生として韓国にある明知大学に長期交換留学生として留学しました。韓国に、初めて行った感想は日本と似ていて違和感がないなということでした。しかし、どんなに似ていても文化は違うので、戸惑うことが多々ありました。一番、驚いたのは日本人だと分かると積極的に話しかけてくるところです。韓国では、日本語を習う人が多いので、私に日本語で話しかけてきました。初めは、とても戸惑いましたがそのうち仲良くなり、お互いに日本語、韓国語を教え合う仲になりました。教えながらも日本のいい所、悪い所を客観的に見れました。もちろん、韓国のいい所、悪い所についても考えることができました。
いつになっても思い出すのは、あの場所である。それはヴェクショーの緑豊かな夏の湖畔でも、凍り付いた冬の湖を近道として横切るスウェーデン人でもない。湖から程近くにある大学の多国籍な学生寮だ。そこで私は多くの事を学んだ。
早いもので、長年の夢だった、長期留学を終えてから2年が経ちました。大学の長期交換留学を志望した大きな理由は、経済的な支援を受けられること、そして、文化や習慣を通して、生きた英語を学び、自分の語学力を伸ばすことでした。それは、もう1つの夢である、中学校の英語の教師になるためでした。カナダのファンショー大学での学校生活は、英語を学ぶことはもちろん、各国の留学生たちと交流する場でもありました。そのため、日本の文化、歴史、習慣などについて、しっかりとした知識を持つこと、自分の意見や考えを言えることがとても大切になりました。留学は、語学力を伸ばすだけでなく、日本を見つめ直す良いきっかけにもなりました。さらに、ホストファミリーとの出会いは、留学生活を充実させただけでなく、一生の宝物になりました。
題で言う「知」だが、未だに浅学だが、それなら留学に行く前は無学だったと言える。ヴェクショーはその成長の一部始終の舞台となった。大きく分けて生活と勉強の面で学んだことを紹介したい。